ホーム >  > 羽田空港 (東京国際空港) 拡張の歴史
目次 | 元のページ 前のページ | 次のページ サイトマップ | ページEND

羽田空港 (東京国際空港) 拡張の歴史


羽田空港 (東京国際空港) 拡張の経緯



羽田空港は、戦後米国により接収・返還された後、住宅地や高層建築物が密集する都心の近接に立地する民間空港として発展してきた。東京都心に近く、アクセス利便性が高い一方、それがゆえに課題となる騒音をできる限り軽減するため、東京湾を最大限活用した飛行経路を設定するとともに、3 次にわたる沖合展開事業及び再拡張事業を実施し、空港処理能力の拡大を図ってきた。一方で、空港処理能力(供給)の増加に対し航空需要が超過する場面もあり、このような局面では、航空会社は主に運航頻度の増加を抑え、機材の大型化により対応せざるを得ない面もあった。

報道発表資料:首都圏空港機能強化技術検討小委員会の中間取りまとめについて 国土交通省 平成26年7月8日 」 より





羽田空港 (東京国際空港) 拡張の歴史



年月日 状況 滑走路 面積
1931年  羽田空港の歴史は、1931年8月に、当時の逓信省航空局が東京府江原郡羽田町の埋立地に、53haの民間航空機専用の「東京飛行場」を開設したところから始まります
 当初の滑走路は延長300m幅15mの1本で、格納庫と待合室などが併設されています
 その後、新聞社の自社用飛行機を中心に機数も増え、格納庫を作るなど少しずつ施設が増えていき、1932年には、満州国が誕生、アジアとの行き来が頻繁になっていきます
300 x 15 x 1 53ha
1932年  1939年には、飛行場は、約72haに拡張され、滑走路も、延長800m幅80mが2本整備され、日本の中心的な飛行場として、太平洋戦争時にも定期便が就航していましたが、しだいに海軍航空隊の訓練用に利用されるようになっていきます
 1945年8月14日、ポツダム宣言を受諾し太平洋戦争は終結、連合国総司令部(GHQ)は、東京飛行場を接収、名前を「Haneda Army Air Base」に変え、拡張工事に取り掛かります
800 x 80 x 2 72ha
1946年  1946年6月、約257ha、2000m級と1600m級の2本の滑走路、および、管制塔、事務所なども整備され、その後、パンアメリカンなどの民間航空機にも拠点として利用されるようになっていきます
 1951年のサンフランシスコ講和条約締結により、接収が解除され、1952年7月空港施設の一部が返還され、「東京国際空港」が誕生、1958年7月に全面返還されます
2000 x 1
1600 x 1
257ha
1964年

1971年
 航空機のジェット化が急速に進んできたため、1964年から71年にかけて3本の滑走路を整備、現在の羽田空港の原型がつくられます

 ボーイング747(ジャンボジェット機)が、1970年代に就航すると、海外旅行が当たり前になり、航空機の大型化が進み、高速化、大量輸送時代が始まります




羽田空港 (東京国際空港) アクセス交通




年月日 状況
1902年 1902年(明治35年)に蒲田から穴守駅(現 穴守稲荷駅の位置)まで穴守線を開通させ、14年に羽田駅を新設した京浜急行は、1956年に、初代羽田空港駅を開設しましたが、空港は、駅前の海老取川の対岸にあり、空港へのアクセス機能は果たせていません
1964年 1964年の東京オリンピックに合わせ、1964年8月に首都高速1号羽田線が空港西出入口まで開通、1964年9月に浜松町-羽田(現 天空橋)間の東京モノレールが開通し、空港のアクセスとして利用されることになります
1970年 1970年には、東京モノレール浜松町駅に隣接して、当時東洋一の超高層ビル「世界貿易センタービル(152m)」が竣工しています(2014年現在、2024年度完成を目指した再開発計画が進んでおり、当ビルも200m級のビルに建て替えられる予定になっています)
1978年 1978年に千葉県成田市に新東京国際空港が開港し、中華航空以外の国際線が成田に移転し、羽田は国際空港から国内空港となります
1993年 京浜急行空港線は、羽田空港の沖合拡張展開に伴い、1993年(平成5年)に、第一期空港線延長工事が完了し、京急蒲田から羽田(現・天空橋駅)まで開通、1993年9月にビッグバード(羽田空港新ターミナル)が完成し、羽田駅で東京モノレールと接続、連絡運転を開始しています
1998年 1998年には、第二期空港線延伸工事が完了し、羽田-羽田空港間が開通、羽田駅は天空橋駅に名称を変更しました
2010年 2010年に、国際線ターミナル開業に伴い、天空橋-羽田空港間に羽田空港国際線ターミナル駅ができ、羽田空港駅は羽田空港国内線ターミナル駅に改称しました
2014年 2014年、京浜急行は、横浜方面からは羽田空港直行の急行で28分、品川方面からは、直行の快特で15分と、便利な路線になっており、京急線と東京モノレールで、羽田と都心を行き来する利用客の約6割を担っていますが、成田空港までは、経由する都営地下鉄線の区間が各駅停車となり、通過運転をするエアポート快特でも、羽田空港国内線ターミナル-成田空港間は、約90分を要しています
2014年8月19日 2014年8月19日、JR東日本は、東京都心と羽田空港を結ぶ「羽田空港アクセス線構想」を発表しました
 新宿、東京、新木場駅から乗り換えなしで羽田空港へ向かう直行路線で、3路線の所要時間は18~23分程度、新木場からのルート上には、2020年オリンピック・パラリンピックの会場もあるため、空港近くに暫定駅をつくり、先行暫定開業、全線では、2020年代の中頃の完成を見込んでいます
 東京モノレールにも、東京駅までの延伸構想はありますが、実現にはかなりの困難を伴うとみられています




羽田空港 (東京国際空港) 写真で見る拡張の歴史



東京国際空港(羽田空港)写真で見る拡張の歴史 1931年東京飛行場開港の時代 1931年東京飛行場開港の時代 (資料:国土交通省)
東京国際空港(羽田空港)写真で見る拡張の歴史 1959年A滑走路を2550mに延長 1959年A滑走路を2550mに延長 (資料:国土交通省)
東京国際空港(羽田空港)写真で見る拡張の歴史 1964年東京オリンピック開催時の羽田空港 1964年東京オリンピック開催時の羽田空港。C滑走路完成  (資料:国土交通省)
東京国際空港(羽田空港)写真で見る拡張の歴史 1970年B滑走路延長工事 1970年B滑走路延長工事 (資料:国土交通省)
東京国際空港(羽田空港)写真で見る拡張の歴史 2000年新B滑走路完成 2000年新B滑走路完成 (資料:国土交通省)
東京国際空港(羽田空港)写真で見る拡張の歴史 合計4本となった羽田空港全景 2010年新たにD滑走路が完成し、合計4本となった羽田空港全景 (資料:国土交通省)



羽田空港 (東京国際空港) の現状と今後、将来の拡張計画につきましては、
羽田空港 (東京国際空港) 第5 E滑走路増設 ターミナル増築 拡張計画 」 をご参照下さい

目次 | 元のページ 前のページ | 次のページ サイトマップ | ページTOP
ホーム >  > 羽田空港 (東京国際空港) 拡張の歴史
   

© 2014 abhp.net All Rights Reserved.

関連情報サイト


国土交通省
国土交通省 報道発表資料:首都圏空港機能強化技術検討小委員会の中間取りまとめについて
国土交通省 (別紙2) 首都圏空港機能強化技術検討小委員会の中間取りまとめ 本文
国土交通省 (別紙3) 首都圏空港機能強化技術検討小委員会の中間取りまとめ 参考資料
国土交通省 リンク 著作権 免責事項 (商用利用可)
JR東日本 (東日本旅客鉄道株式会社)
JR東日本 ウェブサイトのご利用にあたって (著作権法準拠)

コンテンツ一覧

ページTOP
ページTOP

関連記事

ページTOP


関連記事を下記に紹介します



2014年11月7日

「羽田空港」が象徴する日本の発展|日経BP社 ケンプラッツ 2014/11/07


 2020年の東京オリンピック・パラリンピックが決まり、準備が着々と進められている。既存施設の活用もするが、東京で一極集中して競技が行われるため、新国立競技場の建て替えや有明・お台場など海浜地区に新設の競技場を整備するなど、ほとんどの投資が東京に集中する。
 また、競技場周辺のアクセスの改善や観光客の誘致のため、東京国際空港(通称「羽田空港」)の機能強化や羽田空港直通の鉄道の建設計画など、東京を取り巻く改造計画が次々に発表されている。今回は、その中でも世界のハブ港を目指す「羽田空港」にスポットを当てる。


ページTOP
ページTOP
ページTOP