馬毛島 (まげしま 鹿児島県) とは 概要
馬毛島(まげしま)は、大隅諸島の島の一つで、住所は鹿児島県西之表市馬毛島、種子島の西方12kmの東シナ海上に位置している島で、面積は 8.20km2、周囲16.5km、最高地点は島中央部の岳之越の
71.7m、地勢は低くて平らで、河川がなく地質は農業に適さないとされています
馬毛島(まげしま)島内には、ニホンジカの1亜種であるマゲシカが棲息しており、また、島の周辺は好漁場となっています
馬毛島 (まげしま 鹿児島県) 国有化 米軍艦載機 離着陸訓練(FCLP)移転 2019年12月2日
政府は、2019年12月2日、米空母艦載機の陸上離着陸訓練(FCLP)の移転候補地となっている鹿児島県西之表市の馬毛(まげ)島について、島の大半を所有する地権者「タストン・エアポート社」(東京都)と
160億円で購入することで正式契約に向けて合意しました
政府による当初土地評価額 約 45億円に 100億円以上上積み、難航していた価格交渉で折り合いがつき、今後、細部の条件など詰めの協議をした上で正式に契約することになります
政府関係者らによると、防衛省と同社は 2019年1月、2018年度内の売買契約締結に向けた確認書を交わし、買収額 約 160億円で調整を進めていましたが、同社の社内対立を経て
2月に再任した現社長が契約に慎重な姿勢を示したため交渉が停滞
5月には、同社側が交渉打ち切りを示唆することもありましたが、その後も協議を続け、11月に入って同社側の態度が軟化、11月29日、防衛省と地権者が一定の合意に達したと発表、金額以外で双方が提示する条件について協議を進めていました
無人島の馬毛島は種子島の西 約 12キロにあり、約 8平方キロの無人島ですが、島の 99%の土地は開発会社「タストン・エアポート」(東京都)が所有、残り
1%は訓練の受け入れに慎重な姿勢を示している西之表市市有地となっています
FCLP(米空母艦載機の陸上離着陸訓練)は、空母艦載機が陸上の滑走路を空母の飛行甲板に見立てて離着陸を繰り返す訓練で、エンジン出力最大の状態で行われるため、通常飛行状態よりも大きな騒音が発生します
現在は硫黄島(東京都)で行っていますが、地元は訓練移転の受け入れに慎重姿勢を示している中、2011年日米合意で、硫黄島の代替地として馬毛島が明記されました
馬毛島 (まげしま 鹿児島県) 国有化 方針 米軍艦載機 離着陸訓練 移転 2016年11月17日
政府は、在日米軍再編計画の柱の一つである米軍空母艦載機の離着陸訓練(FCLP)の移転について、候補地の馬毛島 (まげしま 鹿児島県西之表市)のほぼ全域を所有するタストン・エアポート(東京)から買収する方向で調整に入りました
政府は、沖縄の基地負担軽減策として、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)に配備中の新型輸送機オスプレイの訓練移転先としての活用も検討しています
政府と地権者の交渉は購入額などで難航していましたが、2016年11月17日、双方の代理人が売買契約に向け協議を始める合意書を締結、2016年度内に土地を鑑定評価した上で購入額を確定、来年度(2017年度)から訓練施設の調査
・ 設計に着手する予定ですが、購入額について、政府側は 数十億円を想定する一方、地権者側は 100億円以上の条件を示しているとされ、大きな隔たりがあります
FCLPは、空母艦載機が陸上の滑走路を空母甲板に見立てて離着陸の動作を確認する訓練で、現在、米軍厚木基地(神奈川県)の空母艦載機は、FCLPを東京都
硫黄島で実施していますが、2006年の在日米軍再編の最終報告に盛り込まれた空母艦載機の米軍岩国基地(山口県)移駐にあたり、米政府は岩国から 1400キロ離れている遠い硫黄島とは別の場所に訓練施設を建設するよう日本政府に求め、日米両政府は訓練移転先に岩国基地から
約 4000キロの距離にある馬毛島を検討することで合意していました
馬毛島(まげしま)の歴史
馬毛島(まげしま)は、鎌倉時代から種子島氏の領地となっていましたが、漁師がトビウオ漁の時期に 1~2ヶ月ほど島内の小屋に泊り込み、漁業基地としていた他は殆ど住民はいませんでした
明治以降は牧場としての利用が試みられましたが、太平洋戦争末期の 1944年に、海軍の防空監視所が設置されたことに伴って無人島となりました
1951年からは、緊急開拓事業による農業開拓団が入植を開始、ピーク時の 1959年(昭和34年)には 113世帯 528人が馬毛島(まげしま)島内に居住、サトウキビ栽培や酪農を営んでいたが、農業に適さない土地であることに加え、害虫や鹿の農作物被害が増加し生活が困窮したため、島民は徐々に島を離れていくことになります
1980年(昭和55年)3月に最後の島民が島外に移住し、西之表市立馬毛島小 ・ 中学校も最後の卒業生を送り出して閉校、馬毛島(まげしま)は、再び、無人島となります
1974年、平和相互銀行により馬毛島開発株式会社が設立さ、当初はレジャー施設の建設を計画していましたが挫折、馬毛島(まげしま)が国の石油備蓄基地の候補地になったことから土地買収が進みましたが、石油備蓄基地は鹿児島県志布志湾に決定したため、以後、馬毛島(まげしま)は放置されることになります
以後、馬毛島(まげしま)は、日本の無人島の中では北海道の渡島大島に次いで 2番目に面積が大きい島とされていました
1995年、立石建設が馬毛島開発を買収して子会社(現在のタストン ・ エアポート株式会社)とし、馬毛島開発は島の土地の買収を進め、西之表市の公有地である市道と旧学校地を除く大半を所有地としています
馬毛島開発では、日本版スペースシャトル (HOPE) の着陸場、使用済み核燃料中間貯蔵施設などを誘致するとの構想を持っていましたが、実際の開発は進まず、わずかに採石事業などが行われており、2005年(平成17年)の国勢調査では、同社の従業員
15人が住民として登録され、再び、有人島扱いとなっています
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