尖閣諸島 中国作成地図 (1969年) でも 尖閣諸島は日本領と明記 |
中国 国家測絵総局作成地図 (1969年) でも 尖閣諸島は日本領と明記されています現在、尖閣諸島の領有権を主張する中国が、1969年当時、日本の領有を認識していた事実を裏付ける資料だとして、自民党は、2015年3月5日、沖縄県 尖閣諸島を日本領土として明記した中国の1969年発行の地図のコピーを外務省に提出し、外務省ではホームページ等で公表しています (下図参照) 1969年発行の中国の地図は、日本の国土地理院に当たる中国国家測絵総局が作成したもので、尖閣諸島を「尖閣群島」と表記し、日本領に位置付けています 菅義偉(すが よしひで)官房長官は、2015年3月17日午前の記者会見で、尖閣諸島(沖縄県石垣市)を日本領土として表記した中国政府発行の地図を外務省ホームページに公表したことについて、「中国が作った地図に「尖閣諸島」の名称が用いられている。中国の主張が矛盾していることを示している」としています
日清戦争以前に作成された欧州列強作成地図でも尖閣諸島は日本領現存している19世紀後半の英国、ドイツ製地図でも、尖閣諸島(沖縄県石垣市)を日本領と記されており、いずれも日清戦争(1894~1895年)より前の地図で、イギリスもドイツも国際認識として、尖閣諸島は日本領と認識していたことを示しており、中国側の「日清戦争を通じて、日本が尖閣を奪った」とする主張を覆す資料です
ロンドン・アトラスだけでなく、他の資料との付き合わせ調査でもころ、点線は領土領海の境界を示しており、地図上では、久場島を日本領と認めていたことが判明しました 東大総合図書館に所蔵されている、1868(明治元)年の地図、「ハンド・アトラス」も同様に、久場島の西にラインが引かれ、尖閣諸島は「日本領」として、琉球併合前の沖縄と同じ色分けがされています 当時の尖閣諸島周辺は、ともに英国領となっていた香港と朝鮮半島南部沖の巨文島を結ぶ海上ルート上であり、英国海軍にとって重要な航路で、英国にとって、航行の安全を確保するために、周辺海域の島がどの国に所属するかは重要な情報です 日清戦争前の段階で、尖閣諸島に清国支配が及んでいないばかりか、欧州列強が日本領だったという認識を持っていたことを示す、中国側の主張を否定する資料といえます |
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