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神戸空港 (マリンエア) 開港の経緯 歴史


神戸空港 (マリンエア) 年表



1946年 空港建設計画が「市復興基本計画要綱」に初めて登場
1971年7月 神戸市、ポートアイランド沖空港試案発表
滑走路 4,000m x 4、3,200m x 2、埋立面積1100ha,
1971年10月 航空審議会 関西国際空港部会設置
1973年3月 神戸市会で、関空神戸沖案に宮崎辰雄市長が反対表明
1973年10月 神戸市長選挙、革新候補として空港反対の宮崎市長が、空港推進の自民党の砂田重民候補を破る
1973年10月 伊丹市、大阪空港撤去都市宣言
1974年8月 関空泉州沖答申が出される
1974年10月22日 神戸商工会議所計画で、関空の補助空港としての神戸沖空港誘致をめざす
1979年9月~
1982年4月
泉州自治体での反対決議の撤回
1980年11月 遠くて高コストの泉州沖をやめて阪神沖(神戸沖)に関空を建設という内容の石井試案(当時自民党航空対策部会副委員長の石井一氏私案)が出される
1981年4月 参議院で、神戸沖は審議会で検討済、その上で泉州が適格と判断したから再検討はないと塩川正十郎運輸大臣答弁する
1982年5月 神戸市議会が神戸沖空港建設を求める決議
ほぼ同時期に大阪、和歌山で泉州沖要望決議
1982年6月 神戸市が、「神戸沖新空港計画試案」( 3,000m x 1、将来拡張して 2本)発表、宮崎市長が運輸省に提出しようとするも、小坂運輸大臣受取り拒否
1982年12月 運輸大臣が坂井兵庫県知事と神戸空港に関して会談、新国際空港の必要性で合意
1984年6月 兵庫県が泉州沖案(三点セット)に合意し、兵庫県が要求する神戸空港の実現の調査協力に運輸省が合意する
1984年10月 関空会社設立
1985年5月 神戸市会、第5次空港整備5箇年計画(5次空整)への神戸空港組み入れ要望を議決
1986年6月 5次空整へ神戸空港の調査計画が、欄外記載の形で組み入れ
1990年3月 神戸市会、第6次空港整備5箇年計画(6次空整)への神戸空港組み入れ要望を全会一致で議決
1990年12月 大阪国際空港(伊丹空港)存続決定
1991年11月 国の6次空整で、神戸空港計画が「予定事業」化
1993年8月 神戸空港計画、新規事業へ格上げ
1994年12月 着工準備調査費が1995年度政府予算に計上
1995年1月17日 阪神 ・ 淡路大震災
1995年6月 「神戸市復興計画」策定:神戸空港の整備を盛り込む
1995年10月 神戸空港及び空港島を含む神戸港の港湾計画の変更の環境アセスメント開始
1996年11月 神戸港港湾計画の変更。飛行場許可申請
1997年2月 国による飛行場(神戸空港)設置認可
1997年3月 国による神戸空港建設に伴う神戸港湾計画の認可
1997年10月 神戸市長選挙、空港反対の大西和雄候補が22万5千票を集めるものの現職の笹山幸俊候補(27万1千票)に敗れる
1998年3月 神戸空港 ・ 住民投票の会成立
1998年10月 埋め立てに係わる環境アセスメント(公有水面埋立)の評価書提出 ・ 縦覧
1998年10月 住民投票署名 有効署名数30万7797人(市選管発表)
1998年11月 臨時市議会、建設の是非を問う住民投票条例案を否決
1999年6月 神戸空港島の埋立免許取得
1999年9月 神戸空港島埋立て工事着工
2000年5月 市長リコール署名、有効 約 8万7000筆で不成立
2001年11月 神戸市長選挙、反対派候補が分裂、推進派の矢田現市長が 約 21万票を集め当選、木村史暁 約 12万票、吉田順一 約 6万票、池上徹 約 4万票、上野泰昭 約 1万5千
2004年3月 空港への支出返還訴訟、神戸地裁が棄却
2005年11月 JAL、ANA、SKYの航空3社が運航ダイヤを発表
7路線、1日 27便(往復)就航が決定
2006年2月2日 神戸スカイブリッジ一般供用開始、ポートライナー延伸部分開業
2006年2月16日 神戸空港開港
2006年9月28日 C(税関) ・ I(出入国管理) ・ Q(検疫)との調整により、初の国際便(セスナ・サイティーションを使ったビジネスジェット)が就航
2010年6月1日 日本航空グループが撤退
2010年10月11日 天草エアライン撤退
2013年6月1日 7番搭乗口・搭乗橋、搭乗口新設に伴うコンコースの延伸部分がそれぞれ供用開始
2013年6月1日 スカイネットアジア航空 就航開始
2013年6月21日 AIRDO 就航開始




神戸空港 (マリンエア) 開港をめぐる経緯 歴史



神戸空港 (マリンエア) 建設計画の発端 関西国際空港建設構想



神戸空港 (マリンエア)の建設計画は、1946年の「市復興基本計画要綱」に初めて登場しますが、具体的な神戸沖空港建設の計画は、1969年5月に、当時の運輸省の関西新空港建設構想に始まります

当初の関西新空港建設構想では、新空港予定地は神戸沖の他、播磨灘、淡路島、泉州沖が想定されていましたが、大都市圏からのアクセスの利便性により神戸沖が有力とみられていました



神戸沖新空港建設 反対決議 関西国際空港は泉州沖へ



1972年当時は、大阪国際空港の騒音裁判も行われ、また、高度経済成長と共に社会問題となっていた公害、環境問題に対する世論の関心の高まり、成田 ・ 伊丹を契機とする、反騒音 ・ 反公害運動が活発化していたいた時期で、神戸市議会は、神戸沖空港反対決議を賛成多数で可決、翌年(1973年)の市長選挙では空港問題が争点となり、当時の宮崎辰雄市長も神戸沖空港の反対を表明し、空港推進派が推す砂田重民を退けて再選されました

その為もあり、翌年(1974年)に出された答申では泉州沖が最適とされました


1970年からの泉州各市と 2度にわたる大阪府の泉州案反対決議、淡路島の各自治体による淡路案反対決議、伊丹市の大阪空港撤去都市宣言(1973年10月)等、この時期は空港そのものに対する反対がかなり強いものがあり、泉州沖の答申が出た後でも、1976年の泉州沖の観測塔設置について、「空港の建設を前提としたものではない」と大阪府知事が国に約束させる等、反対運動への配慮が求められる時期でした

大阪湾岸の自治体がこぞって反対をしている中で、神戸市は神戸沖空港に積極的と見られていただけに、神戸市議会は、神戸沖空港反対決議は大きな影響をもたらしましたが、一方、泉州は人口が比較的少なく開発余地が多いことから、当時の視点ではむしろ神戸沖以上の高い評価を得ていたともされます



現 神戸空港 (マリンエア) 計画の始まり



関西国際空港の建設は、第一次答申後 5年もたった 1980年にようやく 第二次答申が出されるなど長期にわたり、1970年代後半から1980年代になると、空港に対する意識も変化し始め、大阪国際空港(伊丹空港)周辺では空港存続、神戸では神戸沖空港の再評価あるいは誘致、泉州では泉州沖促進という方向へ政策が転換されていきます

神戸においても、1982年、神戸市会が神戸空港の建設を求めて反対決議の転換書を採択し、これを受けて宮崎市長自らが運輸省に「神戸沖空港試案」を提出、泉州 11市町でも、反対決議が順次取り下げ、さらには要望決議を採択するように転換していきました


国は、泉州沖推進の立場を維持し、神戸沖案は不適格、審議会で解決済みとして再審議の可能性を否定しましたが、兵庫県、神戸市を中心として、神戸沖の必要性、泉州沖の問題を指摘する活動が継続され、泉州沖への同意を渋る兵庫県が、泉州沖への同意表明を行ったのとあわせ、地方空港としての神戸空港の調査協力を運輸省から引き出し、現 神戸空港計画の出発点となります



現 神戸空港計画 全会一致の推進議決



現 神戸空港の計画そのものは行政レベルでは継続的に進んでいましたが、大阪湾の水質汚濁など環境問題、近隣に大阪国際空港(伊丹空港)や関西国際空港があることによる採算の問題、空域の調整の難しさや船舶航路との干渉、予定地域の活断層など安全性の問題などに疑問が投げかけられ、早期から反対運動も存在し、1990年の全会一致の推進議決の際にも、議会内に空港反対の意見もありました



現 神戸空港計画 阪神 ・ 淡路大震災後



神戸空港問題が大きな市民活動になったのは、阪神 ・ 淡路大震災後で、当時の笹山市長は、引き続き空港建設を明言、震災復興計画に神戸空港計画を盛り込み、「防災の拠点」として位置づけました

しかし、震災で日々の生活にダメージをうけた市民の感情とは大きく隔離しており、反発を招くこととなり、この時、笹山市長は、「市民に財政負担は一切かけない」と明言しています


笹山市長の案では、空港埋立地の売却益によって、神戸市税を使うことなく、債務を完済出来るという見通しでしたが、「神戸方式」と呼ばれた、埋め立てを中心とした土地開発行政は、その後の日本経済の減速により、次第に行き詰まりを見せ始めます

震災前から増加しつつあった市債が急増、起債残高が一般会計、特別会計等をあわせ 3兆円にも膨れ上がり、財政的に厳しい状況での大規模プロジェクトを危惧する声も強まり、また、他の地方空港が経営的に成功している例がないこともあって、空港反対は次第に大きな市民運動と発展していきます



現 神戸空港計画 住民投票条例案と訴訟



1998年、住民投票条例の直接請求を求める署名運動が展開されて有効署名は 30万7797人に達し、「神戸空港建設の是非を問う住民投票条例案」が議会に提案されますが、空港建設推進派が多数を占めていた議会で、大差で否決されました

1999年に行われた市議会選挙では、空港建設反対派の議員が増加したものの、議会構成に影響があるほどの勢力にはなり得ず(空港反対19 → 23, 推進51 → 49)、その後、市長リコールの直接請求署名運動も行われますが盛り上がらず失敗、また、1999年には、野党議員によって「神戸空港建設の是非を問う住民投票条例案」が市議会に提案されるがこれも賛成少数で否決されています


2001年の神戸市長選挙では、空港建設反対派は候補者を一本化できず、神戸市助役で元空港整備本部長だった矢田立郎(無所属)が初当選、さらに建設活動や手続きが進むにつれ市民運動は沈静化、2003年の市議会選挙では、建設反対派議員は議席を減らす結果となり、ほぼ震災前の水準に逆戻りしました


建設が進む神戸空港(マリンエア)

建設が進む神戸空港(マリンエア)

神戸空港 - Wikipedia 」 より

市民グループによって行われた、空港工事差し止めの一連の訴訟では、そのうち一つが 2004年に神戸地裁で棄却。2005年大阪高裁。2007年の最高裁と棄却され、2005年には、小型機用地利用に関する差し止め訴訟も行われますが、神戸地裁で棄却され、神戸空港を開港前に中止することは困難な状況になります


開港前の最後の選挙である 2005年の神戸市長選挙でも、空港建設反対派は候補者を一本化できず、空港建設反対派候補の一人は空港反対を争点にしたものの盛り上がらず、現職の矢田候補が再選され、2006年2月16日、神戸空港の開港へと進んでいきます



神戸空港 (マリンエア) 開港



神戸空港 (マリンエア) 開港直後の発着便数は、日本航空 (JAL)と全日本空輸 (ANA)がそれぞれ 1日 10便、スカイマーク (SKY)が 1日 7便、3社合計 1日 27便が設定されました

いずれの航空会社も東京/羽田便が中心で、スカイマーク (SKY)が 1日 7便、日本航空 (JAL)と全日本空輸 (ANA)がそれぞれ 1日 2便で、東京/羽田線は 3社合計 1日 11便を占め、その他の就航先は、札幌/新千歳(3便)、仙台(2便)、新潟(2便)、熊本(1便)、鹿児島(4便)、沖縄/那覇(4便)でした


2006年9月28日、『国際ビジネスジェット』が就航したため、税関や入国管理 ・ 検疫などを扱う出入国審査室が旅客ターミナルビル 1階に設けられますが、利用申請の締切が入国時 2週間前までと早く、平日の 9時~17時のみの対応と限られる等不便な要素が多いものでした

開港 1年目の利用者数は、当初の目標を 約 50万人下回る 約 270万人で、2006年度の平均搭乗率は 60.4%、初年度に利用者数の少ない便に関しては、各社撤退や減便が行われ、期待されていたプライベートジェットに関しては、わずか 4機の利用に留まる一方、観光客利用の多い北海道や沖縄への便、ビジネス利用の多い東京(羽田)便に関しては、増便の傾向を見せます


開港 2年目の 2007年2月~2008年1月の搭乗者数も 297万人で、目標に届かず、3年目となる 2008年2月~2009年1月もスカイマークの大幅な欠航等の影響もあり、268万人で、その後も減便が予定されるなど厳しいスタートとなっています

2009年1月、スカイマークが神戸空港を「関西の拠点」と位置付け、神戸空港発着の路線を大幅に増やす中期経営計画を発表する一方、同年(2009年)9月、日本航空は国内線再編計画(グループ会社の日本トランスオーシャン航空、JALエクスプレスも含む)で、「2009年度に羽田線、2010年度に新千歳線、那覇線、石垣線の廃止」を発表、2010年5月をもって神戸空港から全面撤退しました


2012年3月、関西国際空港へのピーチ航空(Peach Aviation)の就航により、それまで神戸空港のスカイマーク便を利用していた乗客が関西国際空港のピーチ便に流れたとみられ、神戸空港の利用客は大幅減少となっています

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神戸市:神戸空港ホームページ
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